JR脱線事故の背景を私的に解読する(ハード編)
前回の続きみたいになってしまいますが、今まで明らかになっている範囲でJRの事故に対する私的考察を加えてみたいと思います。
もちろん、今でもマスコミをはじめとする報道機関に言いたい事はまだまだ山ほどありますが、とりあえず冷静になって考察してみたいので、その点に対する意見はできるだけ省きます。
長くなりそうなので、ハード的に見た事故原因そのものについてと、ソフト的に見た組織面についてと分けて書きます。
まず事故原因についてですが、現場での速度超過が原因の一つであることは間違いがなさそうです。一部報道では「JRは当初『時速133kmでないと速度超過だけでは脱線はしない』といっていたが、時速100km少々で脱線している状況を考えればその説明は嘘ではないか」という論調も見受けられましたが、おそらくこの点についてはJRの説明はほぼ間違っていなかったと思います。ただ、時速133kmというのは(詳しい計算を行っていないので推測の域を出ないのですが)加速もブレーキもかけず無条件に駆け抜けたスピードでという条件なのだろうと考えられるわけです。
伝わってきているように、この列車は直前で急制動をかけた形跡があり、そうだとすれば急制動による遠心力が働くことを考えれば、その時点で車体が外側に振られる…というのは、車を運転されたご経験のある方なら想像が付くと思います。(仮に同じスピードで同じ半径のカーブを通過する際にも、カーブ内で減速してそのスピードになったときよりも、むしろ加速してそのスピードになったときの方が車体の挙動は安定しているはずです)
で、これを防ぐ方法ですが、様々な安全装置を事前に付けていれば…という意見が数多く聞かれます。ただ、これについても一抹の疑問を投げかけざるを得ません。
まず、自動列車停止装置(ATS)が最新式であれば、進入速度を抑制する事が可能だったのではないかという意見。確かに最新式といわれているATS-P型は区間設定速度の超過にも対応できるタイプですけど、基本的にはATSは信号機を補佐することが目的のはずで、特にATS-P型の目的は速度超過抑制のためではなく、列車の運転間隔を安全に詰めるための装置なんですよね、本来は。
もし進入速度抑制のためにそういった安全装置を付けろと言うのなら、ATSではなく自動列車制御装置(ATC)あるいは自動列車運転装置(ATO)という事になろうかと。
ただ、これらとて万全というわけではなく、最終的には運転士の判断という事になるのは間違いないのですけどね。
それと、脱線防止ガードを付けていれば…という意見。これも後出しジャンケンの印象が否めないです。そもそも脱線防止ガードを積極的に設置しようという話になったのは、数年前の地下鉄日比谷線の脱線事故が由来のはず。そのときに設けられた脱線防止ガードの設置基準には、現場のカーブは該当していないんですよね。今日の報道などでも『現場は特殊な環境にあるのだから、基準を下回っていても独自に設置すべきだった』という内容が伝わっていますが、そもそもそういった設置基準というのは安全率というのを加味して設けられているはずで、今回の事故はそういった想定を上回った状況であると考えられるはずです。それを厳しい自主基準を設けて補えというのは(コスト削減を求められる)民間企業に対してはやはり無理があるのではないかと。
何よりも、こういった安全装置設置にはある程度の基準こそあれど、たとえばその設置のための補助制度みたいなものはまるっきり聞こえてこないんですよね。
つまりは原則は各企業の持ち出しな訳ですよ。
だから、たとえば第三セクターやその他のローカル線ではそういった安全装置の設置にまでお金をかけられない状況があって、故に安全装置未設置の路線が各地に点在する状況だったりする訳なんですよ。
少なくとも本州のJRは違うだろう、という意見もあるかもしれませんが、JR西日本の経営環境は、収益基盤に関していえば、民間鉄道との棲み分けが確立しており、安定した絶対輸送量の見込める首都圏輸送を抱えるJR東日本や、東京~大阪間の輸送シェアの7割近くを確保する東海道新幹線を抱えるJR東海に比べ、厳しい競争にさらされる近畿圏輸送やローカル線を多く抱え、相当に厳しい環境にあるはずです。
マスコミは『安全より利益重視』などと厳しいかき立て方しますけど、純民間企業になって株主に利益を与えなければいけない状況にある事を考えれば、必要な安全性を確保した上で利益を確保しようとおもえば、一段厳しい安全基準を与えるほどの経営的余裕があったかどうか検証してみる必要がありそうなんですが、そこまで踏み込むマスコミは皆無ですよね…
というわけで、ソフト面については次の記事で。
【補足】
ウィキペディアの「自動列車停止装置(ATS)」「自動列車制御装置(ATC)」の項が非常に参考になりました。
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